忠さん

先月の29日に小坂忠さんが召されたとの知らせが入りました。数年前から癌との闘いが続いていて、手術と入退院を繰り返していたことは耳に入っていました。

僕が忠さんとリアルに出会った?すれ違った?のは1975年のファースト&ラストコンサートが仙台で開かれる夕方でした。その日僕らはコンサート会場に近い勾当台公園の野外ステージで10%コンサートというイベントを開いていました。そこに忠さんが夜のコンサートのPRも兼ねて顔をだしてくれたんです。その時はひとことふたこと話をしたかもしれませんが今では記憶にはありません。ただ「おう!小坂忠だ・・・」と思ったことだけはおぼえています。

その後77年僕はレコードデビューをし。翌年2枚目のアルバム制作に合わせて住まいを仙台から狭山市に移しました。当時の狭山市はティンパン系?のミュージシャンが多く住んでいたところで、僕が住み始めた家のそばに忠さんの家がありました。思いがけず突然のご近所となったわけでその後は道で何度か忠さんを見かけることになります。

さらにデビューが同じ年の佐藤奈々子さんというシンガーが所属していた事務所が忠さんのトラミュージックということもあり、仕事の関係からも忠さんと近くなりました。これが忠さんとの最初の出会いです。

その後挨拶を交わす間柄になり、時々忠さんが聖書を持って家を訪ねてくれて聖書の話をしてくれるようになりました。しばらくしてコンサートのサポートをしてくれないかと言われて出かけたのが弘前の教会でのコンサートでした。初めての教会でのコンサート。正直戸惑いもありましたが普段のコンサートとは違ったうれしさのようなものを感じたことを今でもおぼえています。

このブログを書きながら「暁のうた」という忠さんと一緒に初めて録音した音源を聴いています。この当時はレコード版ではなくカセットでリリースしていました。僕の写真がないのはデザインが見開きなのでカセットの裏側に回っているんだと思います。

このアルバムは聖歌を歌った作品です。音楽配信アプリで「小坂忠 岩渕まこと」で検索していただけるとヒットします。もちろんその後のアルバムもヒットするので忠さんを想いながら耳を傾けていただくのも良いのではないかと思います。

忠さんとは16年間デュオとして活動させてもらいました。1996年僕は再びソロとして活動を始め、その後は一緒に歌う機会がほぼなくなりましたが、僕の35周年記念のコンサートにゲストとして出演していただくことができました。

この時には2枚目のアルバムに収録されている「レインボウ」も歌いました。リハでは僕たちよりも古くから関わってくれているスタッフが感慨深げにしていたのを思い出します。

2017年、忠さんが大きな手術をする直前に金沢のイベントでご一緒することになりました。複数会場で開催されるイベントだったので一緒に歌うことはありませんでしたが、終演後に食事をすることになり、ゆっくりと時間を過ごしました。なんと滞在中の2晩続けて食事をしたんですよ。

忠さんは仙台の勾当台公園で出会って以来いつも僕の前にいた人でした。前にいて当たり前の人でした。どんなことがあっても召されるなんてないんだと思っていました。

しかしここひと月ほどお見舞いに訪れた人のSNSを見ると病状が深刻であることが見て取れました。ある方がそんな忠さんの様子を知らせる連絡を入れてくれました。「会いに行けば・・・」という思いがあっての連絡だったと思います。

でも僕には忠さんを見舞うことはできませんでした。忠さんの体力をそんなことに費やして欲しくなかったし、家族との大切な時間に割り込むことにも抵抗がありました。とにかく僕には辛すぎて無理だったんです。そして29日のお昼前に召されたとの知らせを受け取りました。

今は「暁のうた」を聴き終えて2枚目の「ベストフレンド」が流れています。ぜひこれを機会に80年代のふたりのアルバムにも耳を傾けていただけたら嬉しいと思います。

 

日記, 音楽

Posted by buchi