安心・安全

安心・安全・丁寧・真摯など、僕たちの表現に果敢せない大切なことばが力を失いつつあります。それはここ10 年ほどでしょうか特に感じるようになりました。それは音としてはアンシン・アンゼン・テイネイ・シンシなのですが、そこに内容が伴わないで使われすぎているからでしょう。僕たちは今大事なものをボロボロとこぼし続けているのかもしれないなと思います。

そしてあっけにとられてもいます。それは1+1=3みたいな出来事が次々に起こってくるからです。1+1=3も何度も聞かされているとそんなふうに思えてくるから恐ろしいです。やがて1+!=5でもスッと聞いてしまっている自分がいるじゃありませんか。

ひょっとするとここ10年ほど、世の中にはずっと魔がさし続けているのかもしれません。その「魔」にもなれてきて「まあ仕方がないんじゃないか」感で後押しをしてしまっているのかもしれませんね。なんせ何をどうしたら良いのかがわからなくなってきているんですからね。この「魔」はかなり強力な「魔」の可能性ありです。

聖書には

神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
創世記 1章25~26節

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
テモテへの手紙 第一 2章1~2節

とあります。

誰かがきっと・・・、ではなく自分ができることは・・・、と向きを変えなければいけないですね。

 

 

 

日記

Posted by buchi