消費と浪費

今こんな本を読んでいます。

まだ途中までしか読めていないのですが、消費と浪費について書かれています。普通に考えると浪費ってよくないことのように思いますが、人が生きてゆく上では浪費するって大事なんだ・・・、的な方向で論が進んでいます。

それは現代の消費は自分で選択して消費しているように思っていても、実は社会の仕組みといいますか、産業構造?の中に組み込まれていて、消費行動すら実は自分で選んでいるのではないということです。

確かに「自分探し」に代表されるようにどこからかテーマを与えられて、気がつけばそのためにきゅうきゅうとさせられてしまったことがあるように思います。

浪費がよくないと思われる理由のひとつは、それから何も生み出さないと思われるからでしょう。もう少し言うと経済活動につながるものを生み出さないから・・・、無駄だから・・・、と言って良いのかもしれません。

本の副題には「人はパンだけで生きるのではなく、バラも求めよう」とあります。聖書ならばバラも求めようが、神の口から出るひとつ一つのことばによる」となります。

この本は一見ほうじゅうに生きることを推奨しているようにも感じられるかもしれませんが、そうではありません。逆に人が人らしく生きるとは何かを問いかけているようです。

今僕は、あるグループで聖書のコヘレトの手紙を学んでいます。そこには与えられた人生を喜び楽しむことが人に与えられている最高のことだと書かれています。

この喜び楽しむと言うことは、消費と言うよりは浪費に近いのではないかと思います。良い浪費、上質の浪費、かけがえのない浪費・・・、そんなのもありかもしれません。

日記

Posted by buchi