何も信じていないのは何でも信じてしまうこと

先日思いがけなく観たのが『東大TV』。どうして観ようと思ったのかと言うと、哲学者の國分功一郎さんの講義だったからです。対象は東大を受験する方々のための番組でしたが、なかなか面白かったです。

す。

どうして國分功一郎さんに反応したのかと言いますと、昨年12月にアリシアの森で共演した牧師でありCafe Living Room 61を運営するなど多方面で活動している中村穣さんのYouTubeで知った「中動態」ということから國分功一郎さんの著書「中動態の世界」と出会ったことからです。

ちなみにこの動画を始め多くの動画がアリシアの森の村人(月額330円会費)の方は楽しんでいただけます。ぜひ興味のある方は村人になってアリシアの森を一緒に植林してください。→ アリシアの森MHKホール

さて東大TVの講義の中ではハンナアーレントの「全体主義の起源」という本にふれました。その中でヒットラーを産んだ大衆社会は「人々が何にも信じていないから何でも信じた」と書かれているそうです。

このことから僕は信じると言うことの新たな側面を見せられたように思いました。そしてここで言われている信じるとは、自分を信じるというようなことではなく、神を信じると言うような「信じる」であるようです。

このことからさらに価値観の事へと講義は進んで行くのですが、そこでは価値を知らない社会は滅びると提言しています。そして価値を知るには信じることが不可欠だと言うのです。

とにかく「何も信じていないということは何でも信じてしまう」ということは深刻な問題です。アメリカの選挙、コロナの危険性、ワクチン等々に関して発信される情報に過剰に反応する人たちがいることは身近にあある現実です。

そして「そうだそうだ」と信憑性を検証したり考えることなく賛同する人たちがいることも現実です。もしこんな風潮が隣国との紛争や戦争に関わるような事であれば一大事です。「そうだ!そうだ!」と盛り上がっているうちに銃を持って戦場にいたなんて事にならないようにしたいですね。あ!今時の戦争はそんなんじゃないのかな。

日記

Posted by buchi