366日元気が出る聖書のことば

「366日元気が出る聖書のことば」とは本のタイトルです。正直この366日に一瞬「?」と思いましたが、それは閏年のことも配慮しての1年366日ということでした。すでにこのタイトルの付け方にこの本の真骨頂が垣間見えているなとも思います。それは丁寧な心配りです。

先日Facebookのメッセンジャーから、アリシアの森の新年聖句募集の案内をさせていただいたのですが、このご本の著者の岩本遠億先生から丁寧なお返事をいただきました。そこに自分は日々聖書のことばに導かれているという意識があるので、新年にあたり特別な聖書のことばを掲げるという意識が薄く、今回は参加ができないとお書きくださっていました。そしてその流れで昨年出版されたこのご本の紹介もしてくださったのです。

そしてなんと先日ご本を贈呈してくださるというメッセージが届いたのです。咄嗟に頂戴するなんて申し訳ないので購入させていただきます、という返事をしようと思いましたが、「いや待てよ・・・」という気持ちが生まれたのです。そして誰かに「せっかくのご好意を無にしないで受けとることができるような人間になりなさい・・・」と言われたような気がしました。うまく説明ができませんが、そんなこんながありつつありがたく頂戴することになり、一昨日ご本が届きました。

さあ、ご本をいただいて僕は何をしたと思いますか。まずは冒頭の文章を読ませていただきましたが、次に自分の誕生日には何が書いてあるかに興味が湧いてページを開いたんです。誕生日のタイトルは「愛を学ぶ」でした。僕は思わずクスッと笑ってしまいました。それは僕が時々発することばのひとつが「愛がわからない」だからです。クスッと笑っちゃいませんか。そんな風に使う本じゃないでしょう・・・、とお叱りを受けそうですが、お許しください。

では今日1月29日のところはどうだろうと開いてみると「偽りのない自己吟味の上に」でした。テーマは自由についてなのですが、それは読者に答えを与えてくれるという目線からではなく、著者自身の未完成の自己を神に差し出す祈りで結ばれていました。どうやらこの本は教える人と教えられる人、語る人と聴く人、知っている人と知らない人、のようにAからBへという構造ではなさそうです。

最近僕は「分かりやすいこと」には吟味が必要だと考えるようになりました。なぜなら日々の生活のことを考えても、自分自身のことを考えても、わからないことだらけじゃないですか。ですから僕は分からないことで足を止めずに、分からないことと一緒に歩きだすことが大切だと思うようになってきています。

この「366日元気が出る聖書のことば」は答えをもたらすための本ではなく、読者の中に潜んでいるー分からないーに小さな付箋をつけて気づかせてくれる本かもしれません。付箋が付けられた心のページを時々開きながら思いをめぐらす。

本全体に流れている丁寧な心配りって、本当は自分から自分へもしてあげなくてはいけないことのかもしれないですね。

日記

Posted by buchi