アリシアの森(24)同じ礎にあって違いを認め合う

先日友人のシンガーから「今年はいろいろ思うところがあって年賀状を送らないのでよろしく」とのメッセージが届きました。通常ならば毎年大ホール規模のツアーをしているようなシンガーの彼が、今年の2月からはほとんどの予定が延期か中止に追い込まれたこと、そして12月からは少し再開できてはいるものの来年は読めないと言っていたのです。

その「来年は読めない」とのことばを読みながら気づいたことは、今年は予定されていたコンサートやイベントが中止や延期になって大変だったわけですが、来年以降はそもそもそのような予定を立てることが難しくなっていくだろうということです。

昨日、年末からのGo To Travelが一旦停止するという発表がされていました。その期間に合わせて飲食店の営業時間短縮要請も延長されるようです。コロナ感染という初めての事態に見舞われているのですから多少はしょうがないとしても、国の政策が対処的に過ぎているように思います。

また、コロナはインフルエンザと同じであるとか、マスクは感染対策にはならないというような意見を発信されている方々も多くいらっしゃいます。僕が考えられる感染対策としてはなるべく人混みには出ない、マスクをする、手をきれいにする、うがいをする、くらいしか考えられません。どのオピニオンが正しかったのかというのは時間が経たないとわからないのだと思いますが、少しずつこの国が行き場を失ってきているようにも思えます。そして個人がそれぞれがの思うように行動するようになって行けば、国が指導力を失い国が溶けていくようなことにもなりかねないなと思います。

話をコンサートやイベントに戻しますが、Travelやお店と違って、コンサートやイベントは開催まで1年、少なくとも半年くらいは必要です。いつになったら感染が収まり1年後、半年後を見通せる状況になるのでしょうか。今のところ検討がつきません。もしたった今感染が収まったとしても開催できるのは早くても来年の夏頃からということになります。このまま手をこまねいていれば、おそらく今年よりも来年の方がアート関係者の生活は困窮してしまうでしょう。

普通、何かのために人が集まって力を合わせるということは一朝一夕にはできません。なぜならばベースになる思想や価値観や方法が異なっているからです。しかしクリスチャン はどうでしょうか。思想や価値観や方法の違いはもちろんあると思いますが、礎となるキリスト信仰、聖書信仰においては全く理解ができないというほどの違いはないはずです。それは一緒になれる、一緒にやれるという可能性がはなはだ高いということになります。

アリシアの森は「クリスチャンの皆さん、一緒になりませんか、一緒にやりませんか」というメッセージの現れです。もしもクリスチャンが一緒になることができたら、それぞれの個性が発揮される中でコロナ禍を生き抜く細い道が見えてくる可能性があります。一緒になる、はもちろん同じになる、ではありません。それは逆に同じ礎にあって違いを認め合うことです。

やがてアリシアの森が大きく育つならば、森の外の世界へも手を差し伸べられる存在ともなるでしょう。神が「はなはだ良い」とおっしゃり、人間に支配せよとおっしゃった世界のために一緒に心を合わせて尽くすこと。それは大きな意味での福音の実現へと繋がるのではないでしょうか。