忘れない・あきらめない

九州はもちろんあちらこちらで豪雨の被害が深刻になっています。水は僕たちにとって欠かせないものですが、その水が日常の営みの枠をはるかに超えた時に、これまで体験をしたことがない、という言葉で修飾される事態になってしまう。このような事態に遭遇すると人間が木の葉のように翻弄されていることに恐ろしさを禁じ得ませんが、しばらくするとそれも忘れて行く。

人間は古来からずっとこのように生きて来たのでしょうが、だいぶ前に月にまで到達した人間が未だに大雨を留めることができないことは不思議な気持ちがしなくもありません。

しかし雨は巨大なエネルギーの蓄積した形なのでしょうから、木の葉のような人間にそれを留めることは所詮無理ということなのだと思います。

しかしひとつ考えなくてはいけないと思うのは、このようなエネルギーの蓄積と氾濫が人間の活動に由来しているかどうかです。一人ひとりの暮らしの中で、例えば近所への買い物は車で行かない、というようなことで大災害が少しでも抑制できるのだとしたら、それは自分たちで風を鎮め、雨を留めることになるのかもしれません。

今回の豪雨は地球温暖化と直接関係していることではないのかもしれませんが、自分たちの暮らしをほんの少しでも見直してみる機会にするべきなのかもしれません。でもしばらくすると忘れて行ってしまう。忘れるということはある意味自己防衛本能にも関わることでしょうから一方的に非難するべきではないのでしょうが、多くの問題の背後にこの「忘れる」が潜んでいるようにも思います。

この4月にクリスチャン アーティスト サポートというコロナ禍にあって困窮しているアーティストを支援する活動が始まりましたが、これもコロナウイルスの感染拡大という脅威がなければ始められることはありませんでした。この活動は現在次のステップへと進み始めています。

その為のクラウドファンディングも残すところ1週間となりました。クラウドファンディングの終了は、新しいステージへの一歩でもあります。頑張りすぎて燃え尽きることのないように、がんばって行きたいと思います。そして「忘れない」を身につけていられるように自分を育てたいと思います。それが身についた時に「あきらめない」も育ってくるように思います。

 

CAS, 日記

Posted by buchi