にぎやかな天国

自分がクリスチャンになってから今日まで作詞作曲を手掛けた作品としては16枚のCDをリリースしてくることができました。普段のコンサートは時間が限られていますし、定番曲を歌うことも求められていますので演奏できる曲は限られてきます。

ちょっと気になったので小坂忠さんとのデュオアルバムから現在まで、歌声ペトラや星野富弘さんとのコラボ等を外した曲でCDに収録した曲を数えてみたところ、77曲でした。平均1時間半くらいのコンサートで歌う曲は12〜13曲くらいがアベレージなので、声ペトラや星野さんとのコラボ曲、CD未収録の曲を入れたりすれば収録済みのオリジナルは7〜8曲程度になります。77曲から7〜8曲選ぶことになるわけですが、外せない定番曲が2〜3曲はありますので、実質5曲前後を選んでいることになるでしょうか。

ですからCDに収録した曲の7割程度は普段全く歌うことのない曲となります。歌わない理由で一番多いのが演奏時間や内容の関係でコンサートの流れに加えられないというものです。しかし中には自分自身の変化によって歌わなくなった曲も何曲かあります。その中のひとつが『にぎやかな天国』です。

こんな歌詞です。

「にぎやかな天国」
もう一度君に会いたい
もう一度君と話したい
君が遠い国へ旅立つ朝
君はいつもと同じだった
あれから天国が近くなった
あれから天国が近くなった

もう一度君に会いたい
もう一度君と歌いたい
キリストの愛に飛び込んで
永遠の命をもらった
やがて天国で君に会える
やがて天国で君にあえる

永遠の国を目指して
歩き続けるこの道を
今ごろ天国はにぎやかだろう
今ごろ天国はにぎやかだろう

この曲は長女を8歳で送った後で書いた曲です。当時はシンプルに「キリストを信じるものは罪許されて死んだら天国」的に理解していたので、そのままの気持ちを歌詞にしました。しかし今では少し違ったと言いますか、理解が深まったと言いますか、受け取り方に変化が出てきました。

なんと天国という言葉は聖書には登場しません。聖書にはいくつかの訳がありますので、聖書によって天国に相当する言葉が、天の国、天の御国、神の国というような言葉になっているようです。天国という時に僕たちはなんとなく、上の方の高いところにあって明るい場所的なイメージを持ちます。しかし新改訳聖書第3版では「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」とあります。やがて行くところではなく近づいてくるらしいのです。

有名な「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」も死んでからということではなさそうですよね。

では結論は?と問われて「これこれこうです」と答えられないのが申し訳ないのですが、持論として聖書は解らないところがあって良いと思っているので、天についてもゆっくりと学べていけたら良いと思っています。では「亡くなった娘さんはどこに?」と心配してくださる方もいらっしゃると思いますが、神様のご支配の中にいることは間違いがありません。しかしそれがこの歌のように、にぎやかなところかどうかはわからないということです。また会うということに関しても僕たちがイメージしているのと同じかどうかはわからないということです。

最近過去の歌をYouTube にアップしながら、自分自身の信仰の旅路を振り返っているような思いがします。その時の信じ方が決して間違いだったということではありません。反対にその時があったからこそ今に至っているのだという感慨を覚えます。

今日はCD『HEAVENLY』に収録した『にぎやかな天国』の音源をアップしました。

先日アップした最近の演奏はこちらです。聴き比べていただくのも面白いかもしれません。