CASへの思い5ーみんなで豊かになろう!

CASへの思い4の出だしは「キリスト教会は10年遅れている・・・という言葉を耳にします」でした。この「遅れている」の言葉には2つのニュアンスが含まれているように思います。少なくても自分自身ではそうでした(汗)。ひとつは「だからしょうがない・・.」という少々自嘲的な諦め。もうひとつは「だからキリスト教世界の外のプロに頼む」というものです。

後者の方はそれが一律に間違いということではありませんが、その方法をとっている限りキリスト教世界が未来永劫10年遅れ続けるという事になるのではないかと考え始めました。CASは「互助」であるとCASへの思い1に書きましたが、そのひとつの形としてキリスト教世界の中で切磋琢磨できる仕事関係を再構築することが必要なのではないかと考えます。「そんな事は当たり前です」とお叱りを受けるかも知れませんが、キリスト教世界は遅れていると思い続けてきた自分の反省を込めた気持ちです。

CASは広場か村かのように『場』であると書きましたが・・・、いろいろな方とのやりとりの中で『村』が多く使われるようになってきたので『村』と呼んで話を進めます。

その村にはいくつかの通りがあります。ひとつの通りは『音楽通り』でそこにはCDショップや音楽教室などが軒を連ねていいます。またオンライン配信専門店などもあって良いですよね。その中にちょっと大きな建物があってそこは『サーダクション』と呼ばれています。これは先日のオープンミーティングの中でサルーキ=のチヨくんの名言を勝手にもじっていますが、彼が発した「サークル以上プロダクション未満」を合体させました。その『サーダクション』は音楽制作プロジェクトで、中には『作詞』、『作曲』、『アレンジ』、『ミュージシャン』、『レコーディングスタジオ』、『エンジニア』、『イベント制作』等のセクションがあり、そこから誰かに作曲を依頼したり、アレンジを依頼したりできるようになっています。これは依頼する際はもちろん有料で作家ごとに支払う金額が決められています。

村の真ん中?には役場があって、そこには『アーティスト名鑑』があり、みんなが自由に閲覧することができます。「今度こんな催しをしたいんだけどイメージに合うアーティストはいないかなあ・・・」と探すことができます。

またビジュアル通りには美術館があり、定期的に古典が開催され、販売もされています。そこのデザイナーエリアには紙媒体のデザイナー、WEBデザイナーのアトリエが軒を連ねます・・・・・。なぜか似顔絵屋さんもありました。

とこんな風にCAS村のイメージを書いて行ったらどんどん膨らんで行きますが、もしこのように村の中で仕事が生まれていくようになったらどうでしょうか。楽しくありませんか、面白くありませんか、と妄想男の私はイメージを膨らませているわけです。

しかしこの村は大手デベロッパーが巨大投資をして作り出す村ではなく、面白そうだから一丁やってみるか、という面々によって形作られていくのです。だからどんな村になるかは誰にもわからないんです(汗)。でもそれが楽しい。

これらをまとめると、キリスト教アートの価値を再確認し、切磋琢磨をしながらキリスト教文化を育み底上げをしてゆくということになるでしょうか。そして適正な価値交換をしながら、一時的な豊かさを超えた豊かさを享受し合う。そしてそれがいつかキリスト教世界の外へ染み出していくようになったら良いなあと思います。みんなで豊かになろう!です。

 

 

CAS, 日記

Posted by buchi