経験を積むほどできないこと

藤井七段の将棋の一手が「善悪を超えた芸術だ」と驚きを持って伝えられています。それがどういう意味なのかを藤井七段の師匠が解説をしてくれていました。

それは歩を取る為に銀を指すという事は将棋のセオリーから外れていて、コンピューターならば指せるが、人間は経験を積めば積むほどできないことなのだそうです。

その理由は上位の駒で下位の駒を取りにゆく事だからだそうです。素人考えで言えば1万円かけて500円を取りに行くみたいなことなのでしょうか。そりゃあ普通しませんよね。

将棋盤の画像は『将棋DB2』に掲載されていたものをお借りしました。こちらのサイトでは対局を一手ずつ追う事ができますが、もちろん僕にはちんぷんかんぷんです。

経験を積めば積むほどできなくなる・・・と聞いて、これは自分にも当てはまっているなあと思いました。今の自分の常識は過去の経験の何かがそう言わせているわけですから、無意識の内に経験でがんじがらめになっっている可能性が大というか、それなりになっているのだと思います(汗)。

ところで善悪を超えた、については多分良いて悪い手ということなのだと思います。良い手、悪い手という範疇にないのですから異次元的とでも言う世界なんでしょうね。

師匠はこうも付け加えていました。それは「藤井七段がコロナ自粛で学校にも行けなくなったので、じっくり将棋に打ち込む事ができたと思う」でした。コロナは人類にとって脅威をもたらした悪ですが、後で振り返って見ればコロナによって始まった事、生まれた事が人類の新しい財産になっている可能性もあるだろうなと思います。ひょっとしたらコロナは次の時代を生む親なのかもしれません。

 

 

日記

Posted by buchi