命を捨てないように

もう何年前になるでしょうか、新宿や高田馬場の路上に出て歌ってみたことがありました。その理由は自分の歌が道ゆく人の耳にひっかかるのかどうかを確かめたくなったからです。

私は1980年に受洗してクリスチャンの歩みを始めました。それは小坂忠さんとの出会いに始まる恵まれたスタートでした。その後は忠さんとクリスチャンデュオとして歌うようになり、国内外の教会から声をかけていただき、多い時では年間200回近いコンサートをさせていただきました。

1996年デュオを解消して再びソロ活動を始めるようになったのですが、次第に私の中に芽生えてきた思いが、「僕の歌は教会の外でも通じるのだろうか」と言うものでした。そして若い頃に新宿西口でフォークシンガー達が歌っていたのを思い出し、新宿で歌ってみようと考えたのです。

最初は伊勢丹の前で歌いました、その通りでは赤信号で留められた人たちが間隔をおいて来るので、ほぼ人が歩いていない時間が生まれることがわかりました。誰もいないのに歌い続けるのもなんだなと思い、人がいない時には若い頃に吹いていたブルースハープで間奏を吹くことを思い立ちました。その後何度か回を重ねてから高田馬場駅前のロータリーに行ってみましたが、新宿とは歩く人の空気が違っていました。

ある時「永遠鉄道」を歌っていた時に気がつけば私の周りに何人もの方が立ち止まり、ある方々は公園の柵に座って聴いてくれていました。その時に「そうか!少し悲しい感じのする響きの方が伝わるんだな」と思ったものです。

路上には小さな椅子を置いて座って歌っていました。最初はメインのギターを持って行ったのですが、目の前を自転車がスレスレに走り去ることもあり危険を感じてサブのギターを買うことにもなりました。

ある日歌っていたら路面の石畳がぐっとフォーカスして見えてきた瞬間がありました。その時に「そうだなあ・・・、道ゆく人にとっては教会と自分の暮らしにはなんの関係も感じていないのだろうな・・・、教会も世間からそんなに遠いところにポツンと存在しているとは思っていないだろうなあ・・・」などと思いました。

そして次に「そこに命があれば、教会も捨てたもんじゃない」と言う言葉が響いてきたのです。私は確かにクリスチャンになり教会の招き入れてもらって自分を回復していたのでした。でなければ音楽からも距離を置いて暮らしていたかもしれません。

路上で歌うことから生まれたのが「そこに命があれば」と言う曲です。「そこに命があれば、教会も捨てたもんじゃない」と言う歌詞には様々な評価があることはわかっています。ソコニイノチガアレバキョウカイモステタモンジャナイことはよく知っているつもりです。だからこそその命を捨てないようにしなくてはと思います。そうその命は気づかないうちに捨ててしまえるものでもあるからです。

日記

Posted by buchi