BeingとDoing

04/21/2023

7日の夜に腰の不調を覚えてからは普段の暮らしがままならなくなりました。8日のコンサートはなんとか終えられたものの、10日の東京基督教大学でのレッスンは自力の車移動と長時間座っていることが難しく、休講にさせてもらいました。

その翌日の11日には近くの幼稚園から依頼されていたミニミニコンサートで3曲歌いましたが、それ以外はベッドとデスクと鍼灸院への行き来だけの生活をしています。

当初は2〜3日もすれば良くなるだろうと甘く考えていたのですが、未だに痛みが続いています。かろうじて鍼灸院までの運転はできるようになったものの、たった20分ほどの運転でも降りる時に痛みを感じてしまい、少し時間がかかるという有様です。

痛み出してから1週間が過ぎたわけですが、日々何もできない自分を抱えながらDoingとBeingについて考えることが何度かありました。僕は存在そのものに意味を見出すBeingに生きているんだ、なんて思っていましたが、何もできなくなってみると、自分の存在価値がぐっと下がったような、居場所がないような気分になってきます。僕の中にあるDoing的な面が目を覚ましたんです。

どんな優れた理想も信念も、ある一定の条件が満たされていてのことなのだ・・・、ということなのでしょうか。少なくとも僕に関してはそのようで、偉そうなことは言えないなと思います。そしてもう一度DoingとBeingについて考えてみたいと思います。

日記

Posted by buchi