音楽がある不思議

ここ数日ヨーヨーマを聴いています。これまたライブ映像を観たのがきっかけです。ヨーヨーマはもちろん聴いたことがありましたが、耳だけではなく観えるということで伝わってくるものがあることを改めて感じました。

ところで車を運転し、景色を見ながらヨーヨーマが弾くバッハの曲を聴いている時に、この世に音楽がある不思議を感じました、目に見える世界のどこからこのバッハの音楽が生まれてきたのだろう。

もちろん目に見える全てのものにはもちろん、目に見えないものにも音楽があることは理解できます。しかし音楽として人が奏で始めた不思議、のような事を考えたのだと思います。

聖書の初めの方に、鍛冶屋と音楽家と家畜を飼うものが登場します。鍛冶屋は道具。家畜は食物。どちらも生活必需品です。ということは聖書では音楽も生活必需品に数えられていると言うこともできそうです。

聖書の音楽はまず人から神へ向かう音楽と言えるでしょうが、そのことによって歌が生まれ、楽器が生まれ、メロディーや詞、そして演奏者が生まれ、それを聴く者たちも生まれてきました。

あのプレスリーが幼少の頃教会の聖歌隊で歌っていたように、アメリカンポップスのルーツに教会音楽があります。

その辺を確認しようと検索をしたら、なんとローリングストーンズのキース・リチャーズも学校の聖歌隊で歌っていたそうです。

そしてヨーヨーマが弾くバッハは教会音楽の作曲家でした。

僕はだからやっぱり音楽には聖書と教会がはどうのこうのと言うつもりはありません。しかし音楽の不思議を考える時に、聖書が記す創造と無関係ではないなと思います。

暫くはこの世に音楽がある不思議を思い巡らしてみたいと思います。

日記, 音楽

Posted by buchi