ラブイース党

07/28/2023

僕は父を幼い時に亡くしているので、叔父がよく面倒を見てくれました。僕はその叔父から、音楽、カメラ、野球、自転車に出会わせてもらいました。鉄琴、グローブ、自転車は買ってもらったと記憶しています。鉄琴は弾くところが空洞のパイプだったのでシロホンというのかもしれません。

この4つの中で最初に出会ったのが音楽です。小学校に入る前からいろいろなレコードを聴かせてくれて、買ってもらったシロホンでそれに合わせて適当に弾いていたものでした。

ギターは小学4年生くらいから始めましたが、当時もうひとつはまっていたのがお笑いでした。ですからその頃僕がなりたかった職業は、バスの運転手か漫才師だったんです。

その僕が話す仕事をいただいたのが22〜3歳の頃、NHK仙台のFMリクエストアワーのパーソナリティーでした。僕は面白い話をするのが好きですが、それを少し掘ってみると「ことば好き」ということになりそうです。ことばはテンポの違いやちょっとした意外性から新しい表現が現れることがあります。そこらへんが僕にとっては楽しく、面白く、好きなんです。

関根一夫先生撮影

今回の「ありがと音頭フェスティバル」にはこれまで震災復興のために尽くしてこられたシンガーやミュージシャンの方々がボランティアで出演してくださいました。それぞれがたった7分という限られた時間でしたが、みなさんがオリジナリティー溢れたステージを展開してくださいました。

僕は最後の出演者であるスティールパン奏者の伊澤陽一さんの後のMCをすることになっていました。そうしたら伊澤さんがMCの中で、「植民地時代のトリニダードでは太鼓を鳴らすことが禁じられ、竹を楽器にしていたが、それも武器になると禁じられ、軍が捨てたドラム缶を叩くようになった」というようなことを話していました。

今思えば、おっちょこちょいの僕が「武器を楽器に作り直したんだ」と聞き間違えてしまいその後のMCに放り込んでしまいました。そしてその流れで「僕はありがとうは良い武器だと思ってるんだ、やさしい飛び道具って感じ・・・」みたいなことを言ってしまいました。「しまいました」とちょっと反省を込めたような言いっぷりをしてみましたが、内心は「ほんまやほんまや」と頷いていました。

栗原さとみさん撮影

僕の衣装は今回もインスタント浴衣(帯が誰でも結べるインスタントなので・・・)だったのですが、そこに「ありがと音頭手ぬぐい」をたすきがけのような感じでとめてみました。見た目が選挙の候補者みたいになったので、これまたMCの中で「まるでラブイース党の候補者みたい・・・」とギャグともなんともわからないことばを発しました。別に徒党を組もうとは思っていませんが「ラブイース党」も気に入ってしまいました。

「ありがとうはやさしい飛び道具」。「ラブイース党」。みなさんはどう思いますか(笑)。


日記

Posted by buchi