理論を知ったら魚はもっと釣れる

06/24/2023

昨日は『理論を知っても魚は釣れない』と書きましたが、書き終わった瞬間に『理論を知らなきゃ魚は釣れない』という言葉が浮かびました。しかしそれを思い巡らせているうちに『理論を知ったらもっと魚は釣れる』だなあと思いました。

「才能がなければ芸は盗めない」というのは立川談志さんのことばだそうです。この「芸を盗む」は落語に代表される古典芸能ではよく言われることばです。しかしそれは簡単なことではありません。

「芸を盗む」ためには、その道に対する熱意に始まり、感じる力、受け取る力、理解する力、発展させる力、応用する力、適応させる力、そしてそれらを現実にするフィジカルな力が必要です。潜在的にこれだけの力を持ち合わせているとしたら、それは才能があるとしかいいようがありません。

ところが芸を盗んで一芸に秀でた人の芸を伝承するスタイルは「芸は盗め」になってしまうことが多いのではないかと思います。

よく何かに天才的な力を発揮している人が良い教師であるとは限らないと言われますし、それはかなり当たっていると思います。それは本来物事の中にある理論を飛び越えて物事を達成してしまったからではないでしょうか。

僕はただのギター好きな子供でしたが、夢中になって弾いていたおかげで(芸を盗んだのではありません)自己流でここまでやってくることができました。しかしいざ教えるという段階になってみると教えるためのことばを持たないことに絶句したものです。そして奏法の基本を分析しながら四苦八苦してことばにしてきたのです。残念ながらそれは未だ充分ではありませんが・・・(涙)。

そして最近解ってきたことはことばで伝えたからと言って、それが理解につながるわけでもないということです。それはことばを理解するためにも先程上げたようないくつかの力は要求されるからです。

しかしことばにすることによって物事が立体的になることは間違いがありません。例えばギターの弦を押さえるためには指の力が要るというような、余計な先入観に変化を与える力があります。また例えば歩くことなど無意識にできることをことばにしてゆくことは難しいですが、人間を知る上で意味のあることだと思います。

ここまで書いてまだまだ自分が混乱していることが解ってきました。しかし才能に富んだ人もそうではない人も理論は地平を広げることの助けになるでしょう。才能は高いところに張った一本のロープ(自分)を頼りの綱渡りのようです。それは一か八かでしかありません。しかし理論はロープの下に転落防止のネットのようなものかもしれません。あるいは綱渡りに季節を与える風だったり、香りだったり、時には一息つける駅かもしれません。

理論を知らなくても魚は釣れますが、理論を知った方が魚はもっと釣れるようになります。そして何と言っても「なぜ自分は釣れないのか」がわかるということです。できることにも理由がありますが、できないことにも理由があります。高いところのロープから転落し続けるのにも限界がありますよね。